青に透けた肉塊

君は変人に憧れている常識人だった。

140-2

「石-1」

その二千円のシャドウは鏡子にとって、憧れていた母の真珠や父のネクタイピンよりも価値の高い存在となった。デパートの堅苦しい包装を何枚も粗雑に破って姿を現したコムパクトを慌てて抱擁する。膨らみすぎた期待に対して、それは消えてしまいそうなくらい小さかった。


「石-2」

はぁっと鏡を曇らせ、鏡子はチップをゆっくりとつまんだ。緊張と、言語化できない喜びが、ふと目線を上げた鏡に映る自分の顔を美しく見せた。チップの先にシャドウをこすらせ、鏡子は覚束ない手つきでそっとまぶたの上をなぞった。瞬時に父と母の宝物の輝きが、何故かチラと過ぎった。


「音」

タタ、ガコンガコン、タタタタ、プルルルル、プシュー、ギュ、ギュ、ドス、フゥ、ガコン、タタンタタン、タタン、ドクン、ドクンドクン、ス、ハッ、ガラガララ、ザァァ、ビュオ、「好きだ」、「アタシモ」、タタンタタン、タタン、タタ


「獏」

茫漠たる江湖を疑い続けて思った、では正解は何なのか。辿り着いた境地は彼を無にした。ただひたすらに疾走した足跡の一条が割れ、球体の世界が創られた。彼はそこに戻ってきたに過ぎなかった。それに気付いた時、彼は深い眠りから目を覚ました。



ゆっくりと、やっていけたらと思う。

140

そのSNSは投稿の字数が限られている。小説を書けなくなってから長い。まずはリハビリをしようと思った。はじめての二編、140文字小説をこちらに載せる。



「華」

無邪気な疾風がその香りをさらっていった。うなだれていた一輪の老いた紅い花は抗う力もなくしなった。ぷつと切れたひとひらの花弁は、風に乗ろうとしたが無念に地を滑った。程なくして風は止み、革靴が通ると潰された。


「恋」

首筋に虫が這っていた感覚は、電車を降りて改札を出てからもしばらく残った。彼女は首まわりをボリボリ搔きむしりながら、近い背を次々とすり抜けて行く。はっきりと赤く付いたその爪痕は頬までを染めていた。彼女は歩くばかりで痛みに気づかない。



五編書けたら更新する。さてはて。

起死回生

 小説「盆地」を書き終えたのは昨年の今頃だったか。私は生活や環境に感化され、ずいぶんと人間が変わってしまった。カッターで削っていた鋭利な鉛筆の束は埃をかぶっているし、棚の奥にある原稿はもう色褪せてしまっているだろう。いや、まさか。色褪せているのは私の心である。

それでも毎日、小説を書きたいと思っている。三本、下書きだけしていて、ひとつはレモン果汁のように透き通った男女の物語。山奥の一本道で出会った都会の女と旅人の男が、それぞれの行く先へ別れるまで連れになるという話だ。もうひとつは自分の半生の美しい部分だけを抽出した、自叙伝のような創作。そしてもうひとつは、一瞬の光景。

私の手から描かれるのだから、不器用な小説となるに違いない。絶対と断言はできないが、残念なことに、芸術は描いた人間をそのまま写す。

芸術に死す。いつだったかこのブログで書いた気がする。私は現状から起死回生し、そしてまた倒れることができるのか、芸術に。

青に透けた肉塊

美しい小説を書きたい。しぼりたての牛乳を注いだ女の身体、すりたての墨汁を流したショートカットの髪、柔らかな草、さらさらと指の間から落ちる新湯、窓辺で午睡する老猫……。音も匂いも風もない、過ぎ去ってゆく一瞬を描いた、この世のどこにもない美しい小説を書きたいと、心を病んでから、幾日が過ぎたろうか。

語りたいことはたくさんある。時勢と現代について、自分の成長と堕落、将来への不安、希望、野望。だが一切を隠すのが美徳というものである。人間は唯一自分の苦しみや望みを理解することができるが、また唯一美しく在ることができる生き物である。私は後者を取りたいと願っている。

烏兎匆匆の21年、否、曠日弥久の半生を過ごし、鏡の自分は青写真とずいぶん違う容貌になってしまった。その顔を上げると、知らない道が見えている。鈍い神経なので違和感なく生きているが、時たまこうして言語化できない予感を抱く。

美しい小説を書きたい。まだ、忘れていない。

告白

**様


 啓蟄が過ぎ、日に日に暖かくなっています。近所の桃はもう満開で、若葉を伸ばしている枝もあります。

 窓外から見える桜の木はまだ咲いていないでしょうが、きっともう直ぐです。けれどもあなたは、今は、あすこにいない。そう思われます。

 あなたと出会ってから、四年が経過しました。本当に、経過という表現が妥当で、私の心に積もったものはほとんど何もありません。世界情勢も、ニウスも、生死も、風のようにすり抜けてゆきます。

 あなたの事は、カレンダーをめくるごとにひとつひとつ忘れて、けれども、名前とお顔は、鮮明に覚えています。だいたいの時間は考えていないけれど、一日のうち一回、何かの拍子に思い出します。それをたとえるならば、背後から呼びかけられた時の、ハッとするような感覚で、胸がドキドキして、刹那、息を忘れてしまいます。

 私はこのように、自分が受けてきた感覚をしっかり記憶しながら、またそれを大切にしながら、これまでの人生を送ってきました。

 畢竟あの時と同じように、自分のことばかり考え、痛みや悲しみ、辛さ、苦しさを表面に出した我欲を掲げて、呉下の阿蒙さながら生きて参りました。私は、人の皮を被った獣です。

 あなたの人生を毒牙にかけたこと、昨日の出来事のように、ハッキリと憶えています。この先も、永遠に忘れません。

 あなたがもし、私という惨い存在から記憶を離して、どこかでしあわせな人生を送っているとしたら、私にとってそれ以上の幸福はありません。この先どんな不幸が私の心身を蝕もうとも、私はそれを受け入れます。

 あなたの健康と幸せを、心から願っています。そしてこの願いがあなたの元へ届かないように、ただ、霧消するようにと思います。