青に透けた肉塊

君は変人に憧れている常識人だった。

全く同じ動作なんてひとつもないんだって。

 

 

映像のような文章を、書く。

 

文字を読んでいるのに、見えているのは一枚一枚の写真。被写体は繊細に、なめらかに動いている。

 

黒の背景がいい。黒は、何にも余計なことを思わせない。ただジッとして、表面はいつもすべりやすくなっている。

 

少女を映したい。牛のお乳を注いだ体に、磨りたての墨を垂らした髪。日本の少女がいい。自由に過ごしてほしい。

 

書けるだろうか?

 

 

鶏とたまごとビッグバンだったらとりあえずビッグバンが先だね。

 

 

人のブログを購読したことも、ブログを書いたこともないから、ブログを辞典で引いた経験も勿論ない。ブログという存在と無縁で生きてきた。私はブログの本当の意味を知らないから、己れをブログマスターだと名乗る人が目の前に現れて、「ブログとは、マヨネーズである」とかいう意味わからんことを言ってきても、私は信じてしまう。

 

私「はあ、マヨネーズですか。マヨネーズにも種類があるんですね。(私はマヨネーズだっていまいちなんのことだか判っていない。あまりに多くのことを、知らなさすぎている)」

 

ブログマスター「種類ではない。一般的にアレはマヨネーズと呼ばれているが、本当はブログという名称なのだ」

 

私「そうですか。ではあなたはあの卵となんかを混ぜてできた調味料にお詳しいのですね?」

 

マヨネーズマスター「聞くまでもない、失敬だ。さらば」

 

けれど無知は罪悪ではないと私は思う。

 

 

 

周囲は心の鏡。と、石川真理子氏著「女子の教養」に書いてあって、

 

気になるものがあるから気にしてしまうのか、気にするから気になるものができるのか、考えたことがある。

 

私はずっと、他人の声や、存在が近くにあるだけで、頭がまっしろになって何にも集中しづらくなる病気を持っているから。

 

 

 

 

読み返して気づいた。彼はブログマスターで、マヨネーズマスターではない。