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青に透けた肉塊

君は変人に憧れている常識人だった。

小説「拝啓」 と他

拝啓

 

 二週間前までコンパニオンをやっていました。店の子としてではなく、個人的にです。私の彼氏は、八十人ほどいます。本職は四年目の高校生ですが、じきに中退するつもりです。
 家は借家で、家族四人で住んでいます。場所は世界的に有名なP山の近くで、周りは緑ばかりです。6年前にこの地に越してきて、私は故郷をすべて忘れました。すべて忘れたかったから引っ越してきたことだけは覚えています。そして今、私はまたどこかに移り住みたく思っています。
 ちょうど一年くらい前、私は入院していた精神病棟から逃げ出しました。ごはんがあまりにおいしくなかったのと、室内の空気の乾燥が嫌で、長年連れ添っているクマのぬいぐるみを抱きかかえて逃走しました。途中まで付き添いの看護婦さんや警備員さんが追いかけてきていたのですが、喉が切れるくらい走ると、後ろには暗い夕陽の他はもう誰もいません。私はこのまま歩いて家まで帰ろうと、スリッパのままの足を進めました。途中で、急にうんちがしたくなりました。近くにあった知らないアパートの自転車置き場に隠れて、ゆっくりうんちをしました。空気の乾燥に悩まされていた6日間を思い出して、涙を流しました。私は以来、精神病棟には入院していません。
 それより三ヶ月前、私は家出をしました。二週間続けられていた居酒屋のバイト先で人間関係の悩みに当たった夜で、死のうと考えてました。私は自分で死ぬならば海で死にたいというこだわりがあって、しかしその日は行きつけの小田原市御幸の浜に行く気はありませんでした。また小田原警察署にお世話になるのではと懸念すると気が憚られました。
 けれど、どうしても遁走したくて、私は早朝一番の電車に乗り、行ったことのない日本海を目指しました。お昼前に高崎につき、上越線に乗り二時頃に水上駅につきました。そこからさらに長岡へと向かったのですが、その間の、他人のような車窓に流れて去っていく遠いトンネルや淋しい渓谷は忘れることができません。
 長岡市はその日、大雪が吹き荒れていました。町を歩く人々は皆、頑丈な長靴を履いています。私は、家族に家出が気づかれぬよう急いで家を出たので、素足にサンダルと薄いジャンパーで南関東から来たのでした。
 真っ白な黒い夜でした。当てもなく歩いて、足が痺れて疲れたので信濃川――だったかもしれない川――のそばで座りました。近くに住宅街があって、藪の隙間から見える家屋の灯りは私のことを気づかないようでした。そうだ、ここで凍死をしようと、下着姿になって雪の上に寝転びました。長岡の空は、たまった埃のような雲に覆われていました。ただ凍えるだけで、何分経っても死ねません。けれど、すぐそこの川に飛び込むことはどうしてもできませんでした。私は結局死なずに、近くの電話ボックスから警察に助けを求めて、それからお母さんにも電話をかけました。
「無事でよかった。明日迎えに行くからね」
 お母さんは、たったそれだけを言って電話を切りました。
 私が何人もの彼氏の間を駆け回り、お金に裕福になったことを打ち明けたときも、コミュニティサイトで知り合った人たちに汚い仕事を強要されそうになったときも、お母さんは運転席で真っ直ぐに車道を見ながら「無事でよかった」とだけ言ったのでした。
 苦しくて辛くて、自分を変えたいと頭を丸刈りにしてから一年半が経ちます。今は、金髪のゆるふわショートヘアーです。成人式には、髪を結わうことができるかもしれません。
 明るい髪にしてからすっぴんでもいられなくなり、十九歳でメイクを始めました。恋人は、「そんなキャラじゃないのに」と困った顔で笑います。
 私には元来なにもありません。それは、世の中の流動に献身的に生きてきたこの人生を振り返れば明らかです。
きっとこの先も、愛を売って手にいれた金以外に失うものはないでしょう。

 

 

三月に書いた話だ。私はこれを一章として私小説を纏め、2週間後に締め切りが迫る新潮新人賞に応募しようと本気で考えていた。浅はか、は、焦りの美徳。

 

蛇口から出る冷たい水道水のようなおはなしが書きたい。

 

 

あと、携帯電話のメモ帳に、古くこう書いてあった。

 

なんとなく嫌いな人がいるだろ、その人の服を見てごらん。とても変な服を着ているだろ。でもさ、よく晴れた日に、きれいな青空のもとで洗濯したばかりのその服が干されている想像をしてみろ。そんなにその人のこと、きらいにもなれないだろ。