青に透けた肉塊

君は変人に憧れている常識人だった。

小説「風呂」

風呂


手のひらを合わせてそっと押すと、ドアはばちんと軽やかに開いて、よろけた私はつま先でステップを踏みながら浴室に入った。だれかがさっきまで使っていたのだろう、タイルを敷き詰めた床には水滴がいっぱい散っていて、私のはだかの足の裏に冷たく吸いついてくる。ふくらはぎの奥のほうからお尻の骨へ、あんまり冷たくって痛くなったから、飛び跳ねて飛沫を蹴散らし、早く温まろうっと、カランをゆっくり回した。

枝垂れヤナギのように繊細な水圧は、だんだんくっきりと硬調になり、後から湯気の色がベールになってそれを覆いかくす。右手の指先でぬるみをたしかめたら、まず首すじに掛けて、のの字を書くみたいにザバザバと、おなかや脇の下をさする。熱くて、冷えた皮膚は亀裂が走るような感覚になる。今度は反対側。お湯の温度に慣れてきたら、肩のすぐ下のくぼんでいるあたりや、骨が出ていてみっともない胸や、小さなちくびにシャワーヘッドをあてて、優しくこする。

数センチくらい窓を開けていて、金網からよく晴れた午後の青空が見える。換気のために開けているので、ひややかな風が時おりぺたぺたと体に触れてきて、私はその寒さから心臓を守るために、肩を張って猫背になる。おへそから真っ直ぐつらぬいて、ちょうど裏あたりの背骨が、腰まわりの皮膚を引っ張ってぽこんと突き出る。なんか、すっごく恥ずかしい。人間の、ありのままの姿を見せているみたい。私は精いっぱい腕を伸ばしてシャワーを立てかけてから、あたまをぐぐっと折り曲げて、突進した。

いつもは、水が入るのが怖くて目を閉じているけど、そぉっとまぶたをあけてみる。不思議なもので、頭のてっぺんからたくさんの水が顔の真ん中へ流れているのに、まぶたと涙袋のふちを沿って、目には入ってこない。まばたきをしても、まつ毛がちゃんと弾いてくれる。

私は、十本の指で頭皮のよごれを丁寧に落とす。太ももをぱっかり大きくひらいて、お股のあいだから濁ったり、ゆがんだりしてきらきらしているタイルをじっくり見つめた。細い傷が無数についていて、茶色く汚れている。継ぎ目のゴムみたいな柔らかいみぞは、タイルがはねた水を集めて、排水口に繋げている。タイルの模様は、面白い。教科書で見た、壁画のようだし、天候の移り変わりを表した絵図のようにも見える。あごから滴り落ちる大きなしずくが、その一枚をいろいろな形に変える。

いっかいシャワーを止めて、髪をかるく絞ってから、シャンプーをいっぱい出して頭に塗りたくる。シャンプーって、難しい。どこからどう洗ったらいいのかわからないし、長い髪の毛が邪魔して頭皮をきちんと洗えていない気がする。まず、ぐしゃぐしゃに髪の毛をかき乱してシャンプー液を全体に馴染ませてから、指先はダンスを踊る足取りをイメージをして、タップ、ステップ、ふわふわに泡立てる。にきびの治らないおでこのきわをなぞり、てっぺんからでっぱってる側面にかけては力強く、耳の裏はくすぐったくて気持ちいい。後ろ髪をぜんぶ持ち上げて、毛根を一本ずつ磨くように、襟足には時間をかける。

髪の毛を洗っているあいだ、十なん年も繰り返している行為は筋肉と神経に染みついていて、何も考えなくても体が動くから、私はシャンプーをすることに対して真剣になっていない。爪を立てて強く掻いたり、やさしく撫でたりしながら、私はまぶたの裏で部屋のクローゼットを開けて、きょう着るワンピースを選ぶ。お気に入りのぶどう色のワンピースは、きのうクリーニングに出したから、きょうはお日様のまぶしいお天気に合わせて、丸襟のレモンエローにしようかな。そしたらパンプスと、帽子のリボンもイエローに統一して、ソックスとパナマ帽を白にすれば、季節の旬のグレープフルーツ・ジュースのイメージだわ。

お洋服のことを考えるのは、とても楽しくて、はずむ指先にどんどんシャボンが大きくなり、首の根から泡が転がり落ちていく。私はもうグレープフルーツになった気持ちで、湯冷めしてしまった肌寒さを清涼な酸味に変換させながら、面白くくつくつと笑う。

カランをひねって、お湯が出るまでラストスパート、ごしごしと洗い終えたら、頭をまっ逆さまにして、後頭部からすすいでいく。これがなかなか難儀なわざで、何度流しても泡が毛根のほうに残ってしまいがちだから、全体を二回、ぬかりなくやる。首が凝り固まってしまうから、柔軟に動いてシャワーを均一に当てる。

もうじゅうぶん。根もとから水分をぎゅっとしぼり落として、バスタブのへりに用意していたハンドタオルで髪をまとめる。シャワーを蛇口に切り換えて、洗面器になみなみお湯を張ったら、洗顔せっけんを濡れた手のひらにくすぐるようにすべらせて、よく揉み合わせて顔を埋ずめる。頬の下、あご、おでこ、赤ニキビがぽつぽつあって、早く治って欲しいからつい強い力で押してしまうけど、もこもこの泡をふんだんに塗りたくって、ていねいに洗浄する。そのうち、自分の無心に気づくと、ふと悲しい気持ちが萌したりする。わかっている、普だんはニキビがあるからおブスに見えるんだって自分に言い聞かせているけど、ほんとうはこのニキビが全部なくなったって、私は可愛くないのだろう。なんの根拠もないけれど、そういう決めつけが一度心に宿ると、いつもしばらく落ち込んでしまう。洗面器からすくっては流して、きれいに拭ってしまっても、赤ニキビは洗う前と変わらない大きさで私の指先に触れた。

シャワーを浴びる。椅子から立ち上がり、お尻や膝の裏、足の指先までたっぷり濡らしたら、アカスリにボディ・ソープをすり込んで、肌の上にすべらせる。左腕から、二の腕、わきの下と動かして、右腕も。肘はよく洗ってきれいにしておかないと、絶対にお嫁さんになれないと子供の頃母に言われていた。だから念入りにやる。肩から耳の裏へ、指を器用に屈伸させてたどる。首の裏、肩甲骨のあたりはとても洗いにくい。両腕をうまく組んで、洗い残しがないようにする。背骨のみぞをたどって、腰。いやな柔らかさを感じて、お肉がついてきたことがわかる。肋骨は、少し浮き出ている。おっぱいがなくて、二の腕がふとくて、肋骨が浮き出ているなんて、みにくい体つきだ。お腹のよこ、おなか、おへそ。おへそなんかいらんって、大好きな小説を初めて読んだときに書いてあって、私はショックを受けた。おへそが必要か、不要かなんて、そんな簡単で身近なことを、今まで一度も考えたことなかった自分が、なんだか恥ずかしかった。

陰毛。自分の体の中で、一番好きな部位。ちゃんと泡で包んであげると、髪の毛みたいにサラサラになる。この小さな毛のかたまりが、身を寄せ合っている生き物みたいで愛おしい。でも、なぜ陰毛があるのかは、知らない。知らなくても、私はそれを、くしゅくしゅに丸めたり、とんがらせたりして、遊ぶ。

内腿、膝の裏、膝こぞうはうっかり怠ると黒ずんでくるらしいから、忘れないように。私は膝上のワンピースばかり着るから、脚には特に時間をかける。誰に向けた美意識なんだろうって時々考えるけれど、毎日脚が美しくすべすべであると確認するのが楽しい。そのうち私の脚を、きれいだと思ってくれる誰かが褒めてくれることを、ひそかに想像する。

足の指は一本一本、関節まで愛撫する。かかとはくすぐったくてゾワゾワするから、あまりよく洗えない。足の裏を終えるときには、肩や胸あたりの泡は乾いて粘り気を帯びている。それがイヤで、さっさとシャワーを出す。泡みどろの下から清潔になったハリのある皮膚の感触を、全身にふれて確かめながら、金網の外を眺める。

今日は映画を観に行く予定だったけれど、こんなに晴れているのなら、お散歩をするのもいいな。きっと暖かくて気持ちいいだろう。私みたいに、ぽかぽか陽気を目当てにお日様の元へ集まる生き物が、たくさんいるに違いない。それは新しく芽吹いた野草だったり、その野草を見つけにいく小さな虫たちだったり、のら猫だったり、室内犬だって、今日は飼い主におねだりをして、悠々とお外で遊びたいんじゃないかしら。そんな生命力に満ちた道を、私はイエローのワンピースとパンプスで、お日様の光のようにまっすぐに歩いて、またたくさん汗をかく。そしたらまた、お風呂に入りたいな、なんて、もう明日のお風呂のことを思いながら、ソープを流してしまって、カランをきつく締めた。

湯気がもうもうとたち込めている。水滴が揺らめくタイルの床や、シャンプーボトルもタオルかけも、真っ青な空の色にそまって濡れている。じっくりと体を洗ったから、ちょっと疲れちゃった。私はお腹を突き出して大きく深呼吸を一つする。そして、バスタブのふたを壁際に立てかけて、やっぱり空色を映した柔らかな湯船のなかに、ずぶずぶと体を沈めていった。